印象に残った言葉

ここ数年で目にし、或いは耳にし、印象に残った言葉を5つ書いた。専らメモ代わり、文章構成と内容に対する後の回顧と反省のため。一応、読み手の存在を想定した文体にはした。ただ、読みやすさと分かりやすさは保証できない。

 

・「運命は勇者に微笑む」  

言わずとも知れた、将棋界が誇る不世出の大棋士鬼畜眼鏡こと羽生善治九段の言葉です。前例や先入観に縛られない果敢な一手を放ち、盤上の真理を追求するその姿はさながら未知を開拓する勇者のようであり、道無き道を進む覚悟を決めた者には運命でさえ味方するのだと、自身が勝つことで以て証明してみせた偉大な棋士です。羽生九段が語るからこそ、この言葉は説得力を持ちます。説得力というものの一因はその言葉の語り手に対する信用なのだと改めて気付くきっかけとなりました。信用とは一手一手の地道な積み重ねで勝ち得るものなのですね。確かな結果が信用を生み、その信用が説得力となる。常識外の一手は常識内の領域をしかと認識してこそ。無知な非常識とはわけが違います。「才能とは、同じ情熱、気力、モチベーションを持続することである」という言葉も含め、とても好きな言葉です。

 

・「夜明け前が一番暗い」

英国の有名な諺なので、ご存知の方も多いのではないかと思います。同じく英国の詩人パーシー・ビッシュ・シェリー『西風の賦』の最後の一節より「冬来たりなば春遠からじ」と訳される言葉もありますね。夜明け前の深い闇に耐えかねて逃げ出したくもなりますが、あと少しだけ待ってみるのも手な気がします。まあ逃避が最善の場合もありますが。戦略的撤退と言います。生きるための作戦の一つです。但し作戦なので、成功も失敗もあり得ます。そのあとにどうするかはその人次第ですが、どうせなるようにしかなりませんから、とにかく健康を大切に。最近私、毎朝青汁を飲んでます。世田谷自然食品のやつです。健康のために始めてみました。これも作戦の一つです。

 

・「知性のある敵は知性のない友より良い」

トルコの諺で、原文は「Akıllı düşman, akılsız dosttan hayırlıdır.」です。「他人は自分を写す鏡」とも言いますが、あなたはどうでしょうか?ひとつ言えるのは「知性のない敵は知性のない友よりひどい」。目も当てられません。私にとっての「友達」は、俗に言うところの親友に相当しますが、私には「友達」が1人います。「友人」ならもう少しいます。私が親友を「友達」と呼ぶのは、親友という言葉の持つイメージが少し負担に感じるからです。親友だからといってやたら特別なわけではなく、ただ友達なので「友達」です。「友達」とはくだらない話題でも盛り上がれるので気は楽です。話題探しに苦心する必要はありません。打算も計算も必要ありません。それが「友達」です。

 

・「Show me your respect」

米国の世界最大プロレス団体WWEが放送する番組にて、ある悪役レスラーが放った言葉です。日本語にすると「俺に敬意を示せ」。「敬意を示す」とはどういうこと?相手に従う?跪きひれ伏す?敬語を使う?敬語法を持たない言語の話者はどのような方法で以て相手への敬意を伝えるのでしょうか。ポライトな表現や明瞭な発音を心がけるなど、まあ色々あるんでしょうけど。ただ正直、敬語ってそこまで万能ではないですよね。一人の人間として相手のことをきちんと認めることなのでしょうか。何より気持ちが大切な気がします。いかにも、その気持ちを「見せる」ことの容易ならざるに頭を悩ませているのですが。「あの人、あんたのこと良さげに言ってたよ」と間接的に伝わると効果的かもしれません。人って又聞きとか風の噂好きですよね。私も好きです。

 

・「どこへ行っても桜の下では、みんな笑っているんです。そう、笑っているのが‬たとえ桜の下だけであってもいいじゃないですか。」

そうだ 京都、行こう。」でお馴染みのJR東海CM、2015年 春「平安神宮(総集編)」(60秒スペシャルバージョン) よりナレーションの一部抜粋です。 

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百万遍から今出川通をしばらく東へ進むと、白川通との交差点に行き当たります。白川通を挟んだ右角には京都銀行銀閣寺支店が、大文字山の方へは琵琶湖疎水に沿って桜の遊歩道が伸びており、疎水はやがて南へ曲がります。いわゆる哲学の道です。春になると観光客でごった返すあの辺りも、今年は幾分さびしかったですね。花びらばかりが輝いていました。思うに、その麗しい見た目や華やかな身の振り、儚い散り様だけでなく、木の下に集う淡薄紅の晴れやかな表情まで含めて、桜の魅力なのだと。

「...そう、笑っているのがたとえ咲良の木の下だけであってもいいじゃないですか...」

...なんて言っちゃってね。

 

おしまい。